◎昨日の梅の実会は、親子夫婦嫁姑の関係の中で自由自在に有難い心を活け上げていこうと本気で実験されている話ばっかりであった。そこにも又神様は善哉善哉とお誉め下さったと言われる。この世では小さい時から教えられなくとも我情我欲は備わってくるもの。それが長じて、この世は確かに腹立ち、悲しみ、苦しみの渦巻く苦の世苦の世界となっている。しかし合楽理念を持ってすれば自分の心を自由自在に活け上げる材料ばかりということであり。今までのように無理に自我を通すのでもなければ、道徳的に辛抱して押さえる生き方でもない。我情我欲そのものが無くなってしまう生き方である。今朝親先生が頂かれたお夢は、相撲見物に久富繁雄氏と行かれ。相撲は力と技を見るものであるというものであった。神様を信じる力だけでなく、自分の持っている我情我欲をどう捕えて活け上げていくか。その技を神様はご覧になられている。今客殿に活けられている素晴らしい活け花のように、稽古に稽古を積み重ねて、どこに出てもすばらしてと言われる程の見事に心を活け上げる実証を表わしたいものである。そこにだとえば、久富まそよし氏の税金を納められるように、これだけ税金が納められるおかげを頂いているのが有難いと社会ではいかに少なく税金を納めようかという風潮の中にあって見事にその問題に対して活け上げられた心でおかげを頂き、事業も繁昌すれは税金み有難く納められるというような、どこの太郎やら次郎やら分からぬようになることではない。国恩にも報いていけるのである。
昭和五十六年九月四日 朝の御理解
X御理解 第八十二節 大蔵省は人間の口をみたようなもので、その口に税金が納まらぬ時は、四分板張った戸一枚で寝てはおられぬ。どこの太郎やら次郎やらわからぬようになろうぞ。
国恩に対して奉謝し奉ると、まあ信心で申しましたら。そういう事になるのぢゃないでしょうか。税金を納めるとね。やはり、もし国に力がなかったら、それこそどこの次郎やら太郎やら分からんようにもなろうぞとね。所謂、お国に対するところの、云うなら心が神恩報謝と同じここで、それがなされる時に、お国の繁栄又安泰というようなことにも繁ることだと思うんですが。なかなか勿論例えばお商売さして頂きましても、赤字赤字ではそれも出けません、やっぱり黒字にならなければ。
昨日テレビて言ってましたが。黒字であるのにも拘らず、赤字の申告をしておるのが沢山あるから、何か再調査をするといったようなね。テレビの話を聞きましたが。人間はどうしても何と言うでしょうかね、自我欲というでしょうか。そのごまかしてでも楽をしたいという心。だから信心をさして頂けばそこが段々違ってくるという。また違ってこなければ信心を頂いておるとは言えないと思うです。
%1所がね、私共のこの自我というものは。私は昨日、本当に実感したことでしたけれども。私がここを朝下がりますと、そこの廊下の所で孫達が皆で待っとります。そして私の手を引いたり。あの、こう私にぶら下がるようにして部屋までまいります。そこには、その楽しみがあるわけです。私が皆送って来た者だけに。あのお茶の時に使います、小さい落雁のお菓子があります。それを一つづつ皆にやるんです、ね。
%1そすと、あの一番あれは二歳でしょうか。光昭の子と勝彦の子供、みえと親子(ちかこ)と言いますが。そのお姉ちゃんが来とらんと必ずお姉ちゃんの分まで貰って行くんです。福ちゃんのとそれから、みえは一枝ちゃんのをと言うてから貰うから。なら一枝ちゃんにやらんならんよと言うてから私が二つ渡します。そげん時にゃえらい喜んで有難うございました言うちから帰るんですよ。
%1特に昨日は、あたしが立ち上がる時に皆に手を取ってもらって立ち上がるんですけれども。そのみえが私のその手を、あの皆でするんですから取れなかったと言うてね。もう泣くこつ泣くこつもう致します。本当にあの、こんな小さい時からそういう自分の我情とか我欲というものが教えんでも備わってくる。備わってくるようなものですね、やっぱり。
%1それが段々長ずるにしたがって、それこそ黒字でも赤字というてごまかすといったようなことに、まあなってくるのぢゃないでしょうかね。こりゃまあ一事が万事、感情の上にもそうです、ね。たあいのないことですけれども、しゃれけ心とでもいうでしょうかね。おじいちゃんの手ば、私が握らんならんとこう思うとる。それを握らせなかったと言うて、あの癇癪まわしてるんです。そういうようなものが育っていく。
ですからこれは人間が。私は昨日は竹葉会でしたから、皆に聞いてもらったことでしたけれども。もう確かにこの世はね、そういう我情我欲を、又は腹立たしいとか、いらいらするとか、苦しいとか悲しいに満ちあふれているんだということです、ね。もう本当にかっかしたり腹が立ったりね。惜しい欲しい、そういうようなものがもう、こう渦巻いておる中にある。
成程お釈迦様がよう言われた。この世は苦の世苦の世界だと言われるが。確かに苦の世苦の世界ですよ。それがそういう教えもせんけれども、そういうことがいつのまにか身に付けて、皆が成長してますからね。我情我欲を身に付けていく、付けることを、嘘を言うてでも自分が余分に食べたいとかね。自分だけが良い目に合いたいといったような、そのものがいつの間にか育ってくるのです。
これはただ道徳的な考えやらで、只それを辛抱するとか押さえておくといったようなものでは、人間は真の助かりはないなあということです。それが心からそういう心を押さえてなくしていこうとする手立てが、私は合楽理念だと思うですね。
%2私は昨日、今度お客さんがありますので、部屋をちょっと見て廻りましたら。客殿に先日から、竹内のお母さんが見事にお花が二段活けにしてあります。それが実に見事なんです。それで五日のお客さんが見える五日六日に見えるお客さんの見えるまでこの花をもたしとかにゃならん。だからあの中に氷を毎日入れさせておるわけですけれども。
%2あの竹葉会の方達に、昨日竹葉会ぢゃない、梅の実会でした。若い嫁さん達ばっかり。その若い嫁さん達に帰りがけ必ず、ことつおおせつまと客殿に入れてある花ば見ていきなさいと。同じ花材、同じ花の材料でこれだけの云うなら見とれるような花に活け上げられるということは、とても素人で出来る、稽古にも稽古を積んでね。云うならば先生の資格でもとらなければこれだけのことは出来ない、ね。
%2だからお互いもそうです。信心の稽古も一つ変わらんのですよと。私は今朝方お夢を頂いとりましたが。『繁雄さんと二人で相撲見物に行っとると、それが丁度、あの土俵ぢゃなくて舞台なんです。ちょうどお芝居見るようにして。』どういう事ぢゃったか知りませんけれども、私が目が薄いから、かぶり付きのところの一番真正面で、こう見せて頂いてこれからその相撲の力と技を見るのだというふうな意味のことを言いなが見ておるということでした。
%2やっぱ力ばっかりでも出来ませんですね相撲は。やっぱり、所謂、技がいる、ね。技だけでもいかん、やっぱり力もいる。その技と力を私は見るんだと言うておる、あのーお夢でした、ね。
神様を信じて疑わないと言う神様を信ずる力と同時に私共がですね。自由自在に自分の心を活け上げていく心の状態、ね。云うなら、お互い日々の中に花材はいっぱいある。花の材料はいっぱいあるのです。ですからそれをどう活け上げるかと、そして自分ながら、いやよう出来たなあと見とれるくらいな、云うならばおかげ。どんなに我情もありゃ我欲もあるんだけれども、ね。その我情我欲をです。どう活け上げていくかと、ね。
自分の心というものをですね、活け上げていく稽古。それが信心なんだ、ね。ですからそれが段々こうぎこちないものから、所謂洗練された美しさといったようなものが花の線なら花の線にも出していけれんならん。で、自分ながら、まあああいう見とれるような花が活け上げられるだろう。自分だけぢゃない、人をしてああ素晴らしいとこう思わせる。私共の心もね。だから使う稽古をしなければいけんのです。
実を言うたら、所謂教えられんでも備わっておると言うか出けて来た我情であり我欲をです、どう活けこなすかということです、ね。欲がないということではない。我情がないわけぢゃないけれども、その我情を押さえてですね活け上げるということ、ね。そして我ながら、云うならば我ながら我が心が拝めれる様な心の状態というものをね。作り上げていくと言う。
%3昨日私は、皆さんの発表を一人一人若い嫁さん達ばっかりですから、もう本当にあの会にでも出てくる人達の場合は、もうその一つ一つをまあ子供のいわゆる母親として、又は姑、嫁姑の関係、又主人との夫婦の関係そういうような様々な中に、そこにそのお母さんとの仲、主人との仲から子供との仲にもういろいろ工夫が凝らされてそれを有難いという答えを出していく稽古をしておる話を聞き終った時に思わず私は拍手喝采しました、ね。
%3そして私が丁度お話なかばに頂いたことが。昨日の御理解の中にも出て参ります善哉ということでした、ね。私の話たけに神様が善哉善哉と言うて下さるのではなくて、本当に信心の稽古を倒れ転びしながらも、まだ只今実験中ですからどういう実証が生まれてくるか分からんけれども、本気になって実験しとりますという方がありましたがです。それを本気でそれに取り組んでその又答えを、また現在のところの心の状態を発表して皆さんおりましたが。
所謂、神様が聞いておられてね。それこそ素晴らしい表現だ、素晴らしいお話だとして。やっぱ皆のお話を善哉善哉。もし神様が声を持って聞いておって下さるならば、そう仰るだろうと思われるようなお話ばかりでした。皆さんやっぱり研修しなければ駄目ですよ。お話を聞いただけぢゃでけん。そして研修の結果をです、発表し合うようなやはり場を作らねば駄目ですよ。
もうこりゃどの会でもそれを思うんです。美登里会、竹葉会、梅の実会というまあ同じ婦人の方達の会ですけれども、あの会でも通うて来ておる人達の、云うならばお花の稽古に通うように、その都度都度にその花材をもう自由自在にとまではいかんでも、何とはなしにその形が取れるように活け上げていけれる自分の心が活け上げられていくということ、ね。
そういう私は中からねお互いとうぜん家庭の上にも商社の上にも黒字の出るようなおかげを頂きたい。おかげで黒字になりました、ね。そこになら日頃頂いておる神恩報謝の心がです、国恩に対し奉ってもやはりそれが云うならば税金ともなるね。ごまかさんですむという。そりゃごまかす心はいっぱいあるわけです。今たった二人の子供達でさえそうなんですから、一つはお姉ちゃんのためにと貰うていきよるとを、途中でちゃんと食べちしもうとる。そういうなら我情があるのですから、我欲があるのですから。
それを口に入れる前にでね。合楽理念に基づいて、ここはこうあるべきだというふうに稽古していっておると。そのそういう、云うならば一万円の税金を納めよった時よりも、十万円の税金が納められるようになったことが有難い、ね。
もう先だって、もう久富建設の正義先生が申しとりましたが。私の方のような事業でこれこれだけの税金を納めさせて頂いとる。本当にこれだけの税金が納められるということが有難いというお礼のお届けがありました。
こりゃちったごまかしたら良かろうというものではないということ。本当にね、一万より十万より百万も一千万でも、云うなら税金が納められる。しかもそれこそ神恩報謝の心で国の恩に対する、云うならば感謝の心で納められるようになったらどんなに素晴らしい住良い、云うならば国が出けるか。又そういう心かけたらどんなに住よい家庭が生まれるだろうかと思います。
先ず自分の心から自分の家庭から、そして国恩に対し奉る。本当にどこの次郎やら太郎やら分からんようになろうぞと仰せられる、それが又国力と言うか国の立ち行きのおかげで私共も立ちいっとるのですからね。それに対する、云うならば税金は大蔵省は、人間の口を見たようなものだとこう仰るのですから、ね。それを頂かなければ、云うなら五体が衰弱していくのです。それが出けるところに国の勢いも出けることになります。
まあ税金はともかくとして、今日は私お互い花材が沢山周囲にあるのですから、その花材をですどう活け上げるか、活けこなすかということに本気でそれを習いそれを稽古しなけれゃいけない。
昨日の梅の実会の方達が本当にあの素晴らしいね。その問題をどう活け上げようかと、あの信心の修行に取り組んでおる姿を見て。云うならばもし神様が見ておって下さる聞いておって下さる。そして言葉をかけて下さるならば。私が頂いたように善哉善哉と仰せられておるのだろうと。私共の心ばえに対し、又私共が表現しておるその事柄の中に、又お話の中に神様がこう拍手を打って下さるような心ばえにならせて頂くけいこを本気でおかげを頂かせて貰うて家繁昌、所謂黒字のおかげを頂きたいもんですね。どうぞ。